重岡大毅の”伝える”という行為

 

重岡大毅の”伝える”という行為を目の当たりにすると、やはり彼は本物の天才だと思う。

 

 

先日、ずっと楽しみにしていた『ストロベリーナイト・サーガ』を見た。もともとドラマや映画を見るのが苦手な自分がこうして一時間もののドラマ(しかも初回は二時間)をじっくり見るというのは久しぶりだった。だから少しドキドキしていたけれど、自分はリアタイできずに結末もなんとな〜く知っていたので、別の意味でのドキドキもあった。

 

いざ姿勢を正して見てみると、そこには自分の知らない重岡くんがいた。

 

そもそも、刑事役というだけで私は万々歳〜という感じがあり、めちゃくちゃ楽しみにしてはいたけれど、心のどこかで「(大丈夫かな?)」とも思っていた気がする。周りは結構実力派だったし、それこそ放送前から続編だなんだと作品自体が批判を受けていたし、期待だけを抱いていた訳ではなかったなあ、と今になって感じる。

 

けれど、そんな少しの心配は杞憂に終わった。

 

というのは、今この瞬間でもあのシーンを引きずっているから思うことだ。

 

実は結構自分でもキツくてまだ一回こっきりしか見られてないけれど、それなのに大塚くんのあのシーンが脳裏に焼き付いて離れない。というか、あれ自体が離れないんじゃなくて、なんというか、大塚くんの感情が忘れられないんですよね。こう思っただろうな〜という推測というよりも、あの瞬間ただテレビの画面から流れ込んできた彼の感情が。

 

(なんかカフェで書きながらボロボロ泣けてきたんで(不審者)、文章ぐちゃぐちゃだったら許してください……)

 

あの時の大塚くんって、自分がケツを掴んだストロベリーナイトの存在を自分たちの班のヤマにできなくて、一つ抜きん出たつもりが結局横並びになって。それでも尊敬している姫川に花を持たせたくて、焦っていた。そうして突っ走って単独行動を繰り返したがゆえの。その先はしんどくて言えないんですけど。

それにまつわるシーンの一つ一つが、気が付いた時には自分の中に積もっていた。母親に誓った夢を叶えられて嬉しいとか、姫川主任を尊敬しているとか、ガンテツに負けてたまるものか、とか。いつの間にか彼の抱える感情が自分の中にもあって、だから例のシーンの後にも喪失感だけじゃなくて、犯人を許せない、絶対このヤマは姫川班が取るんだって自然と思えたのかなと。それってすごいことな気がする。

 

個人的に一番きたのは廃れたクラブの中で「本当に尊敬しているんですね、姫川さんのこと」って言われた時の「……はい」の表情なんですけど、全人類にあの時の顔を考察してほしいくらい自分の中に残っていて。本当に忘れられないんですよ……一回しか見てないのに……重岡くんこんな表情できるんだって思った。見たことない、あんな顔。尊敬している主任を褒められた嬉しさと、そんな上司がいる自分への誇らしさと、どこか寂しそうな、この後の悪い展開をどこか予想させるような孤独感。あー大塚くん……そんな顔しないで……と胸がギュっとなった。

 

で、重岡大毅の真髄はやはり、這いつくばるあのシーン。私基本的に血とか苦手で薄目だったので全部が正しいかはわからないんですけど、朦朧とした意識の中で光に向かって無意識に手を伸ばす姿は、やっぱりその後もずっと離れなくて。間際の表情を見る限り、当たり前に死ぬことが怖かったはずなのに、それと隣り合わせでも成し遂げたいことがあったんだなって。身体を引きずる場面、もちろん小説にあっただろうし、その描写もすごいことなんだけど、重岡くんの名演技に違いないと思う。

 

 

というかここまで書いておいてなんやねんって感じなんですが、私は演技とかよくわからないので、演技の上手い下手に関しては正直語れないんですよね。誰が演技上手いと思う?って聞かれても、全然よくわからない。ちょっとわざとっぽいなあとか、この人すごい!とか感じるときはあるけど。

 

でもこの人の演技が好き!というのはやっぱりあって、それが私にとっては重岡大毅の演技なのである。感情を伝えるのではなく、共有するような。私たちの生活のどこかに落ちていそうな、けれどその人にしかない物語を私たちにも生きさせてくれるような。そんな演技。

 

実際、大塚くんのあのシーンの間際には「怖い」と思った。死ぬことが、怖かった。実際に私には死ぬことが怖いって感じた大きな経験はないし、というか視聴者目線で怖いってなんだよって感じなんだけど。でもこれは『宇宙を駆けるよだか』の火賀くんを見たときにも強く感じていて、見ている側も主人公のことを「好きだ」ってなったり、最後のところでは「あ〜〜〜苦しいけど二人を応援してやんなきゃ〜〜〜」ってなったり。余談なんですけど、火賀があゆみを振り返って笑う土手のシーンとラストの教室でみんなに囲まれる然子を苦しそうに見つめるシーン、なんでかわからないんですが、死ぬほど泣いちゃう。

 

重岡くんは『溺れるナイフ』のときのインタビューで、こんなことを言っていた。

 

――芝居のおもしろさはどんなところに感じてますか?

自分の気持ちを言えるのが、スッキリする。台詞なんだけど、ちゃんと感情を込めて、自分の言葉として言えちゃうんですよね。この台詞はこう言おうとか、気にしたらできないから。恥ずかしさもありつつ、いつも自分の中に役があるって信じてる。

【重岡大毅インタビュー】今年2作目の映画に出演「アイドルっぽいキラキラを出すスイッチみたいなのはある(笑)」 2ページ目 | ORICON NEWS

 

あーこれだなーと。演じるというよりも、重岡くんの中にあるものを、役を通して伝えてるんだなあと。だからどの役も、重岡くんにしかできないものになっているんだろうな。

 

そういった意味でもやはり、重岡くんの”伝える”という行為は、人よりも優れていると思う。

 

 

最近のWESTは「みんな」で「楽しむ」ことを重視しているけれど、その考え方が私はとても好きだ。その「楽しむ」という行動は、ただのらりくらりと生きていたり、友達とぎゃあぎゃあふざけ倒したりしただけでは得られないものだからである。特にあの勝負の世界では。コンサート一つ取ったって「楽しむ」ためにはそれ相応の努力が必要になる。しかも見ている人も含めた「みんな」なんて、独りよがりでは絶対に無理だろう。

だから重岡くんのその姿勢が、すごく好き。彼が「みんな」で「楽しむ」ことに全力になるということはつまり、こちらには見えないところで努力をすることが必要だし(努力を見せれば同情なんかも入るし、純粋な「楽しい」ではなくなる)、そもそも彼が「楽しい」を共有できる才能がなければそんなの無理に決まってるから。

 

重岡大毅の歌を聞いてめちゃくちゃ苦しくなった経験、ありませんか?私は死ぬほどあるんですけど、もともと私は共感する力が人よりも少し強くて、気持ち悪いほど感情移入しやすいっていうのも多分あるんですが、それにしても重岡くんの歌を聞いて引かれるほど泣いたこと、結構あるんですよね。アホかってくらい。

歌だったら神ちゃんや桐山くんの方が上手いって思うし、声だって万人受けはしないんじゃないかなあ。それなのに、イヤホンやテレビを通して彼の歌を聞くたびに、感情がグラグラとする。

この前初めてWEST!に行ったとき『間違っちゃいない』で彼の叩く鍵盤から流れ込んできた感情は今でも忘れられないし、Westivalの円盤で『乗り越しラブストーリー』かけるたびに泣いてるし、なんならミュージックのシャッフルで『アカツキ』が流れてくるたびにラスサビで胸を抑えて死んでる。なんだこれ。

 

歌やピアノ、演技、喋る言葉の一つ一つにすら感情を込めて”伝える”という行為は、誰にでもできることじゃないし、練習して簡単に身につくものでもない。

だからこれが重岡くんの才能なんだろう。自分の中にある感情を何かに載せて”伝える”こと。彼はその行為に、とてつもなく長けている。

 

そんな嘘偽りない彼が、今日も明日も、多分ずっと好きだ。だからもっともっとたくさんの彼を見せてほしい、と願い続けるばかりである。

 

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それにしても苦しすぎて毎日死にそうになるのそろそろ苦しい。大塚ショックから抜けたい……